光栄なことに地元ではちょっとした伝統校である母校の同窓会常務理事の任を拝し、今日は同窓会の理事会に出席してきた。
ここ数年、コロナ禍もあって、延び延びになっていた100周年の記念行事も9月に大団円を迎え、いよいよ次の100年へ向けて新たなスタート切る佳節での拝命だ。100年の伝統があるということは当然同窓生も役員もかなりの高齢な先輩がたくさんいらっしゃる。その中での異例の人事(?)で現役員達から10歳以上離れての若輩役員としてご指名いただいた。
さて、そんな僕に求められていることとはなんだろうか。これでも経営者の端くれである。母校では2年にも渡って生徒会長もした。まあ進学校なのにお勉強はあまり真面目にやらなかった僕だから勉強以外のことで花を咲かせようともがいた結果であるが、それでも楽しい3年間を過ごせたし、今でも地元で仕事をしているといろんなご縁がある。
ただ、この数年、理事の任をいただく前から関わらせてもらう中でいろいろと課題も見えてきた。特に大きな課題は若年同窓生の同窓会離れ(各学年毎のは学年単位で行っている学年が多いが、縦つながりの大きな同窓会には最近の卒業生は本当に少ない)と、高齢者対応、そして運営側の特定人物のマンパワーへの依存である。
そして、これらの問題はそれぞれ別次元のように見えるが、僕はこれらが根っこを同じくする問題だと思う。
僕がこの会に関わらせてもらうことになり、今後(いろいろと様子見をしながらではあるが)提案できることとすれば、自身の専門性を生かすことであろう。もちろん、僕の専門性と言えば自身で会社をしていることもあるシステム開発による提案になってくる。それはそうかもしれない。
だけど、本当に提案したいのはそこではない。システムにより解決できることは導入しましょうよという提案はもちろん行っていくが、それは物事の本質ではないのだ。パソコンを使えば便利になるなんてのは皆が認めるところであろうが、やみくもなコンピュータの導入は何も便利にはしない。ストーリーが大切なのだ。
例えば、高齢化が進む同窓会における喫緊の課題の1つに「連絡手段」がある。
同窓会を開催するにあたって、出欠の集計が必要になるわけだ。しかし、現状ではなかなかその集計が大変な状況にある。運営する側も参加者側もデジタルデバイスアレルギーでほんのささいなことでさえ「そうはいっても・・・」と及び腰になるのだ。結局未だに会報紙面でのアナウンスとハガキか電話かファックスでの参加表明(一部メール連絡の受付)を行い、手作業で集計している。数千人いる同窓生へのアナウンスと200人~300人に及ぶ参加者(これも理想は300人以上きて欲しい会であることが本音)だ。
これをいつまでも手作業でしているというのは運営的にもコストだし、若年層はなかなか参加表明しにくい心理的なハードルが生じる。
そして、何より大きなハードルがこちらがいくらシステム化に関する提案をして、さらに関係者が懸念しているであろうデジタル化へのハードルは全て想定し対応できるということを踏まえていても、デジタル化の「デ」の字の段階で聞く耳を持たなくなると言うことである。
パソコンを使うというだけで「私はようわからへん」で何ひとつ説明を耳に入れない。そんな状態で聞くから何を言っても会話にならないのだ。しかし、これは個人個人のデジタルアレルギーだけが問題でないこともわかっている。
要はみんな「仕事が増える」「仕事が押しつけられる」「孤立する」のが一番嫌なのだ。
デジタル化して便利になったら「これまで相談しながらわからないなりにも和気あいあいやっていた雰囲気がなくなるんじゃないか」「こんな簡単なこともできないのか」「簡単になったんだから楽だろう?」などと見放されるかもしれないことに対する恐怖心や不安が膨らむのだ。
これまで多くの年配者にデジタル化の提案をしてきたが9割以上がこうした反応であり、その心の奥にはそうした気持ちが見え隠れしていた。
結局、本音は「デジタル化するなら仕事ごと私から奪って」が本音なのだ。そして「私は今の私のままでできる仕事だけのほほんとしておきたい」という消極的な気持ちが顔に出ている人が多い。
つまり本当にしなくてはならないことは心を繋ぐことなんだと思う。デジタル化して便利になっても、わからないことはわからないと聞いていいし、楽になる余暇で和気あいあいとより良くするアイディアでも茶を飲みながら話し合えばいい。日本人はなぜか自分を適度に忙しい状況に置かないと気が済まないタチらしい。楽になることを恐れ、過剰にしんどくなることも嫌がるのだ。デジタル化が進まないことの本質はそこなのだろうと思う。
僕に与えられた使命は「楽になること」でも「もっと仕事をできるようになること」でもない。「みんなが安心して必要な仕事を確実にこなせ、笑顔になれるようにすること」である。
仕事量はさほど変わらない。むしろこれまで時間がなくて十分にできていなかった何かを効率化によって生まれた時間でできるようにすればよりよい仕事ができるであろう。仕事量が減るということはすなわち楽になることではないのだ。
質を上げるということにもっと着目できるような意識改革を提案していけるようになりたい。若者だから何でもかんでもデジタル推しみたいなイメージを持たれたくはない。ましてや僕はエンジニアであり、システム開発会社の経営者であり、高校情報科の教員でもある。デジタルの化身みたいな僕であるが、僕が奨めたいことは至極アナログであり、感情的であり、人間くさいことなのだ。
往復ハガキだって僕は好きだ。
手集金や電話申込がいたって良いじゃないか。それらを排除するのが僕の仕事ではない。インターネットで申し込んだ方が楽な人“も”取り込んでみんなで食卓を囲めるようにすることが僕の仕事だ。
友達が腹一杯メシを食える世界。それがワンピースの主人公、モンキー・D・ルフィの作りたい世界だそうだ。
そう、僕もみんなが笑って腹一杯メシを食える世界が作りたい。海賊王に俺はなるんだ。
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